都会人の自然音痴症候群「スマホを使う時間が増えたら、必ず室内に植物を増やそう。」
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植物とひとの”いい”関係
木々の緑を見て目が休まることはあっても、「室内に植物を置いたからなんだ」っていうひと、多いと思います。騙されたと思って。ぜひ室内に一つ植物を置いてみてください。きっといいことがあるはず。今回は、そんな植物とひとの”いい”関係の話です。
新種の植物を求め、世界中を冒険している西畠清順氏の「人生、植物ありき」という言葉を聞くと、植物から何かを与えられた覚えはないと顔をしかめる人の方が多いかもしれませんが、盆栽愛好家として知られていた岸元首相は身近に植物がある暮らしは人の心身を豊かにし、生きる上で大切なことを植物が教えてくれたとして次のように述べました。(1)
「植物に生まれ持って備わっている性質や個性を見つけ出して、それをうまく生かしてやることで最も味わいのある姿を生むのです。それは人でも同じで、生まれ持った性質を上手く生かすことで本来の力を発揮することができるのです。そのことを植物に気付かされたからこそ、政治の世界でも成功できて、豊かな人生を送ることができているのです。」
↑部屋の中から人生の先生を排除していないだろうか
日本で古くから使われてきた言葉や言い回しには、実は、植物から得たものがたくさんあり、それらの意味を正しく理解して、その言葉の奥にある本質をつかんだり、感じたりすることで身の周りの植物への理解を深めることができ、そこから生きるヒントを得ることができるのではないでしょうか。(2)
例えば、「長い暗闇を抜ければ、花が咲く」という言葉がありますが、この言葉はゲッカビジンというサボテン科の花に例えて作られており、ゲッカビジンは暗闇を刺激として感じる植物のため、太陽を刺激として感じるヒマワリが太陽光を必要とするように、ゲッカビジンは花を咲かせるために長い暗闇の中を通過しなければなりません。
↑ゲッカビジン「長い暗闇を抜ければ、花が咲く」
金城一紀さん原作の大人気小説「GO」の中で、「暗闇を知らない奴に光の明るさは語れない」といったシーンがありますが、このように「長い暗闇」を下積み時代や苦労の時代に置き換え、「長い苦労の時代を抜ければ、ひと花咲かせることができる」というように例え、励ましの言葉として使われます。
私たち人間は、経済的にも精神的にも貧しい時期が続くと、心が折れてしまいそうになりますが、古人はゲッカビジンの生き方から、状況が暗くなっても落胆することなく、それを刺激として、明るい先を見つめて暗闇に耐えるという考え方を学び、暗闇を乗り越えていたのでしょう。
↑暗闇を知らない者に人生を語る資格はない
お墓の周りにたくさん生えているヒガンバナは、「墓地に咲く花」とされ、多くの人から気味悪がられて大切にされてきませんでしたが、この植物は絶えることなく工夫を凝らしながら上手に生き続けてきました。
ヒガンバナは、冬に育つので生育場所を他の植物と奪い合う必要が無く、冬の太陽光は弱くても、多くの葉っぱで毎日その日差しを受ければ、他の植物に邪魔されずに光合成をして繁栄できるため、ヒガンバナの花が咲く地面を掘れば、花の個数の何十倍もの球根がゴロゴロと埋まっています。
↑植物にもそれぞれの生き方・価値観がある
秋の野に真っ赤な花を誇らしげに広げるヒガンバナは、「人間の世界では、個人や組織が雑草のように競争にあくせくして心の余裕をなくしています。個性を生かして横並びの競争を避ける努力を怠っていませんか?」と私たちに語りかけているのかもしれません。(3)
メジャーリーガーのイチローも、ホームランではなくヒットで、日米野球界に新たな歴史を刻みましたが、NHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演した際に、自分にはピッチャーの決め球を詰まらせて落としたり、スピードを殺して内野に転がしてヒットにする技術があると述べており、厳しい世界でも、工夫をすれば、他の競争相手とは違う方法で繁栄し、成功する可能性があることに気づかされます。
↑心の余裕無くして、工夫など生まれない
古来から私たちと共に暮らしてきた植物は、ことわざや詩歌などに描かれ、私たちに生きる上でのヒントや心構えを教えてくれていたため、私たちの生活や文化は植物たちに支えられてきたと言っても過言ではありません。
それにも関わらず、私たちは大人になるにつれて、自然から遠ざかるようになり、いつの間にかアスファルトの亀裂から力強く芽を出している植物を見ても、何とも思わなくなったり、その植物の名前が何なのかすら分からないような「自然音痴」になってしまったのではないでしょうか。
↑何とか大切なことを伝えようとしている植物の存在にすら気づかない
自然欠乏症という現代病
アファンの森財団の理事長であるC・W・ニコル氏は、自然に触れる事なく育った子供は、自然欠乏症(NDS=ネイチャー・ディフィシエンシー・シンドローム)を発症する恐れがあると警鐘を鳴らしており、自然欠乏症を患うと、落ち着いて座ったり、忍耐力がなくなったり、コミュニケーション障害にまで発展し、社会に適応できないなどの問題が発生すると言います。(4)
人々の幸福を研究しているタマラ・レシナー氏によると、植物は人間の集中力を増加させる効果を持っており、ADHD(注意欠陥)を患っている子供たちを森に連れて行くと、森に行く前と比較して注意力テストで高得点を獲得するようになったと言い、大学生グループでの実験でも同じような結果が出たそうです。
↑自然から離れることによって子供のコミュニケーション能力はどんどん低下していく
イギリスで行われた調査によると、世界では18億人がスマートフォンを所有し、所有者の多くが10代から20代の若者だと言われており、彼らは1日あたり平均150回スマートフォンの画面をチェックすると言いますし、確かに、現代の子ども達の遊びといえば大抵の場合、スマートフォンの画面を眺めている事がほとんどなのではないでしょうか。
けれど、ほんの数十年前までの子ども達は親の目の届かないところまで出かけて、興味を惹かれるものを観察し、他の子供や様々な生き物との無数の冒険を重ねて成長してきており、スマートフォンやゲームがそれらの機会を奪ってしまっているこの状況を、C・W・ニコル氏は次のように描写しています。(5)
「昔の子ども達は走って、跳んで、登って、障害を避けること、手を使ってものを投げること、ものをつくることなどを、自分の体をめいっぱい使いながら学んでいきました。生きるうえで必要なことは自然から教わっていたのです。遊びは生きるための訓練です。」
↑ウェブの世界が普及するにつれて、住居をどんどん自然に戻していく
自然に触れることでしか得られないこと
「センス・オブ・ワンダー」の著者で生物学者のレイチェル・カーソン氏は、美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになり、そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につくと述べており、自然に触れることの大切さを次のように語りました。(6)
「子どもたちが出会う事実のひとつひとつがやがて、知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐぐむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。」
実際に植物は多くの遺伝子から構成されていると言われていて、例えばイネ科の植物の場合、約32,000個の遺伝子から出来ており、この数は人間の遺伝子の約22,000個よりずっと多いため、植物は私たち人間より多くを知っていると言えますし、植物から学べることは非常に多いのではないでしょうか。(7)
↑美しいものを美しいと感じる感覚
スペインのサグラダ・ファミリアを設計したことで知られる、アントニ・ガウディは無垢な赤ちゃんを見て、発見こそがすべてだと気づき、世の中には新しい創造などなく、自然から得た発見をただ組み合わせることで初めて作品が作られるとして、次のように述べたと言われています。(8)
「まずは自然を知ることから人間はすべてが始めるのです。まさに私たちは植物ありきです。すべては、自然が書いた偉大な書物を学ぶことから生まれる。人間が作るものは、すでにその偉大な書物の中に書かれている。」
実際、サグラダ・ファミリアを支えているあの大きな柱はプラタナスというスペインで普及している街路樹をモチーフに作られたと言われており、柱に取り入れられているコブのようなデザインも、プラタナスの幹のコブがモチーフになっていると言われています。ガウディは想像力の天才と言われていますが、むしろ彼は「自然を観察する天才」だったと言えるのではないでしょうか。
↑自然界に不自然なものを作らず、自然と融合した建築を目指したガウディ
阿部寛・上戸彩主演で映画化され話題となった「テルマエ・ロマエ」の作者ヤマザキマリさんは、私たちは毎日満員電車に揺られ、仕事や人間関係に振り回されているうちに、この地球に住む一つの生物としての命の本来の輝きを失ってしまいがちだとして、次のように述べました。(9)
「夢中になって魚を追いかけた子供の頃みたいに、人間の『袋』を脱ぎ捨てて、ただの生き物としての自分を取り戻すべきなんだ。でも、毎日アマゾンに行けるわけじゃないから、例えば葉っぱの上に止まったトンボを見たりして、ちょっと息継ぎをする。そうやって、私たちは小さな自然に救われている。」
↑人間の『袋』を脱ぎ捨てて、生き物としての本能を取り戻すべき
植物の変化に注意して観察してみると、彼らの生き方が自分と似ていると感じさせられる事があるかもしれません。そうやって彼らの変化に注意にすることで、全ての地球上の生き物の命はどこかで繋がっていて、いろいろな物が繋がっている安心感や温かみ、そして感謝の気持ちが自然と心に広がっていくのではないでしょうか。(10)
新種の植物を求め世界中を旅している西畠清順氏が、「砂漠で遭難して絶望的な状況に置かれ心に余裕がない人が、砂漠に咲く一輪の花を見たとしたら、きっとその花を美しいとは思えないだろう」と述べていましたが、この例のように、花を美しいと思えるかどうかは、およそ自分の心次第で、美しいものをちゃんと美しいと思えることは、自分の心が豊かで余裕があり幸せな証拠です。(9)
↑都会から出ようとしている「芽」に立ち止まれる心を持っていられるかどうか
植物は遺伝子的には40%まで私たちと同じような仕組みでできていると言いますし、まずは多くの時間を過ごす家の中で植物と暮らせば、彼らに対して親近感を持つようになるでしょう。
そして、自分で移動できない植物は、何か問題が起これば逃げることができる人間と比べて、厳しい環境に生きているのにも関わらず、それぞれに問題を解決しながら懸命に生きている姿を見れば、私たちが失いかけていた豊かな感受性を取り戻し、ともに幸せに生きるために、手助けをし合えるようになるのかもしれません。
「人生、植物ありき」故郷に帰って両親に顔を見せるのが親孝行であれば、自然を思いやる気持ちを取り戻し、一緒に生活する事は、自然孝行なのかもしれません。なぜなら、私たち人間に昔から生きる上で大切なことを教えてくれていたのは自然なのですから。
- 参考書籍
- (1)髙木禮二「盆栽が教えてくれた」(情報センター出版局、2007年)P12
- (2)西畠清順「教えてくれたのは、植物でした: 人生を花やかにするヒント」(徳間書店、2015年)P14
- (3)田中修「植物のあっぱれな生き方 生を全うする驚異のしくみ」(幻冬舎、2013年)Kindle P868
- C・W・ニコル「15歳の寺子屋 森をつくる」(講談社、2013年)P78
- C・W・ニコル「15歳の寺子屋 森をつくる」(講談社、2013年)P79
- レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」(新潮社、1996年)P27
- 村上和雄「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」(ソフトバンククリエイティブ、2011年)P40
- 西畠清順「教えてくれたのは、植物でした: 人生を花やかにするヒント」(徳間書店、2015年)P94
- ヤマザキマリ「国境のない生き方: 私をつくった本と旅」(小学館、2015年)KIndle P1486
- 村上和雄「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」(ソフトバンククリエイティブ、2011年 P42