ダサい服ではダサい家しか作れない「その汚くて、ダサい作業着をさっさと脱ぎ捨てろ。」
ミニマリストなどを代表する「消費しない若者」という言葉を近年よく耳にしますが、実際に若者の車離れが深刻化している現代では、20代男性の約25%程度しか車の購入に関心を示しておらず、その割合は2002年に比べると約半分にまで落ち込んでいると言われています。
グラフィックデザイナーの原研哉氏は、若者が車を欲しがらなくなった状況を、車が所有者のファッションや生き方を表現する対象物としての認識が薄れてきたことが原因だとして次のように述べたました。(1)
「ファッションは人の暮らしやモノの本質を考える生活の思想である。現代において車はその役割を失ってしまった。」
↑車よりも自転車「カッコいいのイメージは時代と共に変わっていく」
住宅に関しても、若者のマイホーム離れが加速し、2008年時点で、賃貸物件で暮らす人々の割合が6割を超えたという統計が発表されており、それは日本の住宅が無味乾燥で、画一的なコンクリートで建設されるようになり、人々の生き方を表現するツールではなくなってきているのが原因なのかもしれません。
建築業界のファッションは昔から定型で、黒やグレーなどの色でデザインされていますが、家は身を守るシェルターの役割を果たすのと同時に、その家に住む人のライフスタイルを目に見える形で表現するツールであるため、その家を建築する人の服もその人の生き方や働き方、そして考え方を表現するような服でなければ、家の個性も損なわれるのではないでしょうか。
↑服の個性がない人に、果たして個性のある家は作れるのだろうか
フェンディやシャネルなどの一流ブランドのデザイナーとして知られているカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)氏は、普段身に付けている服はその人が誰で、どんな思想を持っているのかを表現する重要なツールだとして、「スウェットパンツは敗北のしるし。それを履くのは我を忘れた時くらいだ」と語ったそうです。
また、カール・ラガーフェルド氏は寝る時にも自身の服装に大変こだわることで知られており、ポプリン・インペリアルと呼ばれる素材で作られたシンプルなホワイトシャツを着用して床に就きます。
実はそこにも彼の「シンプル」へのこだわりが表現されており、彼がシャネルを世界のトップブランドにまで成長させることができたのは、シンプルで繊細なデザイン性があったからこそだったのです。
↑スウェットパンツは敗北のしるし
18世紀初頭のイギリスでは、労働は貧しさを表し、上流階級の女性たちは「働かなくてもよい高い地位」を表現するため、衣服に華美な装飾を施したと言われていますが、19世紀にイギリスで起きた産業革命によって働くことは、「独立と富」を意味するようになり、女性も独立を求めるようになりました。
ところが、従来の華美な装飾が施された衣服では仕事をすることはできず、また彼女たちにとって装飾が施された衣服を手放すことは、今までの地位を捨てる事に等しかったため、多くの女性が労働を断念したと言われています。
そこでシャネルでは華美な装飾を取り外し、シンプルにデザインすることで従来の女性に与えられていた定義、解釈、そして常識をデザインで書き換え、女性の「働きたい」という内なる野心を繊細でシンプルなデザインで表現することに成功しました。
↑服装が働こうという野心をくすぐる
世界中から様々な分野の人物がプレゼンテーションを行うTEDの登壇者の服装がとてもカジュアルだと感じたことはないでしょうか。それには理由があり、TEDではスピーチの内容が経済であれ、科学であれ「ごく身近な日常のこと」として語られるため、堅苦しいスーツよりも、日常的なジーンズなどの服装でスピーチした方が説得力があると言われています。
TEDのプレゼンターは決して着るものに無頓着なのではありません。ただ、ストーリーの聞き手を説得させるために、話の内容に応じた服装をきっちり選択しているのです。
↑ストーリーを相手に伝えるには、カジュアルかつクールな服装
「スターウォーズ」シリーズなどの映画監督であるジョージ・ルーカス氏の妻であるメロディ・ボブソン氏は、自身が実際に受けた黒人差別についてTEDなど多くの場で演説を行うことで知られていますが、彼女はどんなにフォーマルな会議でもカジュアルな普段着で出席する事でも知られており、その理由をTEDの中でこのように語りました。
「大事な打ち合わせがあったから、今回(TED)のプレゼンと同じようにワンピースでレストランに向かった。受付で『昼食会に来たものです』と名乗ったら係りの女性は私を通路奥の殺風景な部屋に連れて行ってこう言ったの。『あんた、配膳係の制服はどうしたの!?』」
彼女は未だにアメリカで存在する黒人差別の現状を着るもので表現したのです。この世の中には、人の見た目で扱いを変える人もいるという現実を直視した上で、その日以来、彼女は「私は差別に屈することは絶対に無い」という気持ちをカジュアルな服で表現してきました。
↑別に豪華な服を着ることが良いのではない
ドイツのニーチェという哲学者が、「各人にとっては自分自身が一番遠い存在だ」と述べていましたが、確かに私たちは自分たちの目で直接、自分の後頭部や顔、背中を見ることができないため、私たちの体で私たちがじかに見ることができるのは、常にその断片でしかないとすると、私たちの体は「鏡で見ればこんな感じ」もしくは「離れてみればこんな風に見えるんだろうな」いう想像の中でしか、表すことができないと言えるのではないでしょうか。(2)
ところが、服を着ることによって、体を動かすたびに皮膚が布地に擦れ、体の動きとともに、身体表面のそこかしこで体と衣服との接触がおこるため、その接触感が普段は直には見えない体のあやふやな輪郭をはっきりと浮き立たせてくれるのです。
例えば、熱い湯に浸かったり、冷水のシャワーを浴びたり、異性と身体がふれあうような行為がなぜ心地良いかというと、風呂に入ったりシャワーを浴びたりすると、湯や水と皮膚との温度差によって皮膚が刺激され、皮膚感覚が覚醒させられるため、ふだん見えない背中や太股の裏の存在が、その表面でくっきり浮かび上がってくるからだと考えられています。(3)
このように視覚的には直接感じることのできない体の輪郭が、服などの繊維が皮膚を刺激し、皮膚感覚という形でくっきりしてくることで、自分が何者で、何を訴えたいのかがハッキリとし始めるのではないでしょうか。
↑服を着ることで自分の輪郭がくっきりと見える
心理学者の榎本博明氏は、著書「バラエティ番組化する人々」の中で服を通して自分の身体の輪郭を知ることは、自分の内面も知ることになるとしてこのように述べました。(4)
「『自分がこう言う人間だ』というイメージがはっきりすれば、自分の長所も自覚できて気持ちが安定するし、自分のイメージがはっきりしていれば、自分の出し方も決まるため、堂々と自分を表現することができる。」
↑服を着ることで、自分が見えてくる
先端的なファッション・デザインというのは、「人はなぜ服を着るのか」という原点の問いから発想されていると言われますが、住宅に関しても、先端的な住宅デザインというのは「人はなぜ家に住むのか」という原点の問いから発想されるのではないでしょうか。
家族の形も新しい局面を迎えており、50年前は4.1人であった平均世帯人数は、現在2.5人に減少し、世帯構成のトップは「一人暮らし」、二位は「二人暮らし」で上位二つを合わせると、全体の6割にもなると言われ、おじいちゃんやおばあちゃんのいる大家族は激減し、子供が巣立った後の夫婦二人世帯や、離婚の増加による独身者の世帯も増えたと言われています。
世帯構成の変化は、暮らしに新たな可能性をもたらしてます。暮らし方の異なる人々全員が同じ間取りに住む必要はなく、自分の身の丈に合った「住まいのかたち」を自由に構想すれば良いのではないでしょうか。
↑「時代遅れの服装では、時代遅れの家しか作れない」
不動産会社のチラシによって喚び起こされた欲望ではなく、「おお、これぞ我が暮らし」と手応え十分に覚醒できるような家を探し当てるには、目をつぶって自分にとって一番大事な暮らしのへそを家の真ん中に据えれば良いと言われています。(5)
例えば、料理が大好きな人であれば、キッチンを中心とした家づくりを、映画が好きな人であれば、ホームシアターを中心とした家づくりをすれば、おのずと自分の人生を表現するツールとしての家が完成するのではないでしょうか。
それを実現するには建築業界の人々の手助けが必要不可欠ですが、家をデザインする建築業界の人々が無味乾燥な服で設計図を書いているとしたら、おそらく良い家は完成しないのでしょう。なぜなら、彼らが着ている服は、彼らの仕事や生き方の鏡のようなもので、彼らが大切にしている価値観や創造性を映し出すものだからです。
↑結局、「何を着るか」はその人がどう生きるか
世界的な小説家である村上春樹氏は、最初のエッセイ集「村上朝日堂」の中で、「どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ」と綴っていましたが、彼にとって彼の書く文字は自分を表す服のようなものなのです。同様に建築業界の人たちにとっても、どんな風に服を着るかというのは、どんな風に働くかというのと似ているのではないでしょうか。
アメリカのアル・ゴア元副大統領の首席スピーチライターを務めたことで知られる作家のダニエル・ピンク氏は、著書「フリーエージェント社会の到来」の中で、インターネットやコンピュータの発達によって21世紀は個人の時代になり、従来の軍隊のような画一的な働き方は機能しなくなり、一人一人が自分に合わせたオーダーメイドの暮らしや働き方をするようになると述べました。
建築業界の人たちが灰色の無味乾燥な服を脱ぎ捨て、一人一人が各々の価値観やクリエイティビティを表現するようなオーダーメイドの服を着て仕事をするようになれば、建築業界も街並みも今よりずっとカラフルになり面白くなるのかもしれません。
- 参考資料
- (1)原研哉「日本のデザインー美意識がつくる未来」(岩波新書、2011年)Kindle P259
- (2)鷲田清一「ちぐはぐな身体ーファッションって何?」 (ちくま文庫、2005年)P19
- (3)鷲田清一「ちぐはぐな身体ーファッションって何?」(ちくま文庫、2005年) P21
- (4)榎本博明「バラエティ番組化する人々 あなたのキャラは『自分らしい』のか?」(廣済堂新書、2014年)P55
- (5)原研哉「日本のデザインー美意識がつくる未来」(岩波新書、2011年)Kindle P1016