特別企画:リノベ不動産の中の人/コーディネーターOさん①

[記事更新日]2017/05/16

リノベーションマガジンをご覧のみなさん、こんにちは。キムラです。
GWももう折り返し。これが終わると、次の祝日は『7月17日』の海の日。そのあとは、もうお盆で『8月11日』が山の日。
昨日気付いてしまったのですが、2017年ってあと、8ヶ月なんですね。三分の一が過ぎていることに気づき、うだるように暑い夏が目前に迫っていることと相まって、頭を抱えています。(僕は秋が好きです。一年中、春と秋がいい。)

ということで、今日もGW特別企画:リノベ不動産の中の人をお届けします。今回は、昨日のYさんと同じく、リノベ不動産の営業担当、コーディネーターのOさんです。Oさんは、昨年2016年、弊社のトップ営業成績を獲得した敏腕ビジネスマンです。北海道の大自然の中で育った彼は、どのような経緯でリノベ不動産にジョインしたのでしょうか。インタビューを通して、彼の人となりに迫ります。

前進。毎日、ない道。

キムラ
今回は、インタビューを通してOさんの魅力をリノベーションマガジンをご覧のみなさんにお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
まずは、これまでの経歴を聞いていきたいのですが、北海道生まれですよね?
太田さん
北海道の上ノ国町っていうところで生まれて。道南に函館があるでしょ。それのちょうど反対側の日本海側の漁師町で。そこで生まれて、育ったのは、江差町(えさしちょう)。そこが地元になるね。弟がいて、兄弟二人。母と子供ふたりの3人で暮らしてた。
キムラ
中高まで江差町だったんですか?
太田さん
そうそう。俺は高卒だから、中学校高校と地元にて、江差中学校、江差高等学校でサッカー部。それで、高校の2年生くらいの時にヒップホップはじめた。

ヒップホップとの出会い

キムラ
ヒップホップ?
太田さん
そう、ヒップホップ。アメリカ西海岸のカリフォルニアのあたりが発祥の「ウェストコーストミュージック」っていうジャンルがあって。それがすごいかっこいい。いまでもずっと好きだけど、高校2年のはじめに目覚た。
キムラ
ウェストコーストミュージックにはどこで出会ったんですか?
太田さん
当時、俺の一個上の先輩に「すごいかっこいい音楽がある」って言われて、MDを渡されて。それ聞いたら、すごいかっこいいラップだったんだよね。しかも北海道をラップにした曲。地元北海道を推したラップだね。それがすごいかっこよくて。それを作った人たちが、江差町の町内に住んでた、10歳も上の人たちだったんだけど。その人たちとつるむようになって。週一、二回くらい、その先輩の家に行くと、ヒップホップしてる地元の人がみんな集まってるのね。そこから音楽やろうと思って。先輩と二人でコンビを組んで、DJも地元の先輩をいれて、クルー(チーム)を作ったんだよね。それで、ヒップホップをはじめたんだけど、そのコンビとは、音楽性の違いで一旦解散。
キムラ
音楽性の違い?
太田さん
最初に惚れ込んだのがウェストコーストミュージックの西海岸の音楽だったんだけど、当時クルーでやってた音楽は、ちょっとニューヨークとかのほうの東海岸の音楽だった。
キムラ
その違いは大きいのですか?
太田さん
全然違うね。機械音と生音みたいな。当時のクルーは、生音を使った曲が多かったんだけど、俺がやりたかったのはそれじゃなかったんだよね、。もっと機械音のゴリゴリのやつがやりたいと思って。それで、はじめてのクルーを解散した後、また知り合い同士で、5人くらいのクルー作って。そのクルーでは、ゴリゴリのウェストコーストミュージックをやりました。曲を作ってライブをして、函館とか札幌とかのクラブハウスを回ってたんだよね。
キムラ
それが何歳くらいですか?
太田さん
17、18かな。17くらいから、夜クラブハウスに行って、歌わしてもらって。毎週金曜日は、レギュラーでやらしてもらったりもしてた。結局、19くらいまでは、地元と函館とで活動してたね。

音楽を仕事にすることを夢見て

キムラ
それが仕事?
太田さん
いや、全然。一回レギュラーのライブに入っても、その出演料なんてお小遣いみたいなもんで。だから、自分たちでCD売ったり、グッズ関係をとにかく作って売ったり。シールとかTシャツとか。そういうのをうまく作って。全然売れなかったんだけど。あとは、自分たちで広告作ってイベントをして。自分たちで企画をして、ライブハウスを貸し切って、音響いれて、人集めて、いろんな音楽関係の人に声かけてブッキングして。それでも、一回のイベントで、20万円とかね。それでブッキングした人たちに出演料払ったり、なんだりしたら、全然手元には残らない。でもまあ、楽しかったから続けていたんだけど。ただ『函館じゃ音楽は狭いから、札幌に行こう』と思って。札幌に移住して活動しはじめた。
キムラ
札幌にもいたんですね。
太田さん
札幌にはね、2年間くらいいたかな。もちろん音楽をやってたんだけど、生活がやっぱり厳しい。だから当時、テレフォンアポインターとして札幌で就職というか、バイトをしてて。結構アポインターって時給もいいからね。昼はバイト、夜はクラブハウスに行って活動しての毎日。アルバイトの方は、かなり成績がよくて、アルバイトなんだけど部下をもたせてもらったりもした。
キムラ
じゃあ、一応生活はできていた感じですか?
太田さん
まあギリギリだけどね。さっき言ったみたいに、さすがになかなか厳しいなとなってきて。でそこで、そのままバイトから社員になったんだよね。このタイミングで、一旦音楽から離れてみようって。
キムラ
なるほど。

つづく!

今回は、Oさんの北海道時代のお話をお届けしました。この記事を最後まで読んでいただいたい肩は、彼がどうして横浜の会社の、さらにリノベーションをしている会社にいるのか、がまだ全く結びついてないはず。次回は、Oさんが、北海道から横浜に移り住みはじめた話をお届けします。こうした社員へのインタビューを通して、リノベーションに興味をお持ちのみなさんが、「この人と話してみたい!」なんていう思いを抱いていただければ幸いです。それでは、また次回。


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